政策研究ネットワーク山形 - 政策提言(1)
地域主権についての考察(平成22年9月26日地域主権部会報告)
はじめに
平成21年に誕生した鳩山政権は1丁目1番地政策として「地域主権」を掲げた。 政府の「地域主権戦略大綱」は地域主権改革について「日本国憲法の理念の下に、住民に身近な行政は、地方公共団体が自主的かつ総合的に広く担うようにするとともに、地域住民が自らの判断と責任において地域の諸課題に取り組むことができるようにするための改革」と定義している。
この定義は、団体自治と住民自治とで構成される地方自治の本旨そのものであり大賛成である。 だが「まてよ」である。 改革案の中身をみると、団体自治の方は地方政府基本法制定(地方自治法の抜本見直し)や基礎自治体への権限移譲や条例制定権の拡大など改革の工程表が示され、それなりに伸展が期待されるものの、住民自治の方は定義が目指す「地域住民が自らの判断と責任において地域の諸課題に取り組む」ための仕組みは空っぽのままである。 これでは「大綱」が目指す改革を実現するのは無理である。そもそも昭和21年に「国民主権」を人類普遍の原理とする現憲法が公布されて60余年を経て今なぜこのような概念が浮上したのかを考える必要がある。
60有余年の間、政治と行政と国民の3者は住民自治の在り方について小手先の対処に終始し本質の追究を怠ってきたため沈潜していた問題が浮上したと考える。 既存の法制に不備がある上に、住民活動が活発な一部の先進的な市町村や地域を除き、わが国では一般的には市町村職員も地域住民も「住民自治」について明確に意識していないのが実態であり、地域の現場の実態と地域主権改革とが目指すゴールとの溝はとてつもなく大きいのである。 自民党の安部政権時代から99回の「地方分権改革推進委員会」が開かれ4次にわたる勧告を行っており、「官から民へ」など目指すところは民主党政権下の「地域主権戦略会議」が目指すところと大差ない。 大きく違うのは「分権」から「主権」に変わった点である。
分け与えてもらう「分権」と主体的に獲得する「主権」とでは住民のパフォーマンスに天と地ほど大きな違いが出る。 地域主権改革は欠落していた「住民自治」の溝を埋める作業を抜きにしては実現し得ないのであり、「分権」では主体性が醸成されないのである。 基礎自治体の構成員である市町村行政や住民自治組織やNPO法人や企業が自治の現状を率直に見直し、山形県内から地域主権改革が始まれば幸いである。地域の自治の現状を住民目線で直視しながら本来在るべき自治の姿をグローカル(glocal)に考えることを求めたい。
Ⅰ.地方自治の現状と問題点(住民自治政策の必要性)
1.法制の不備
「国民主権」の思想は明治憲法の天皇大権に代わって人権尊重、平和主義とともに現憲法の3つの中核思想として盛り込まれた。
だが、主権在民は新たな思想だけに日本社会には馴染みが薄く、実効ある法制にするには思想を具体化するための改革の仕組みを用意すべきであった。だが、現実は現憲法前文に「国民主権」の4文字があるだけで、実効性が担保されない概念提示だの法制にとどまった。
「国民」の権利義務に関する規定も第3章(第10条~第40条)に設けられたが、内容は過去の過ちと悲劇を繰り返さないための規定を設けた性格が色濃く、国民主権を進化させるための規定は設けられず、明治憲法の性格を引きずる帝国主義の色彩をとどめる法制になった。
主権在民の思想を、条文化すると、しないとでは、その後の社会の展開の仕方に天と地ほどの違いが出る。現憲法は地方自治についても新たに章を起こし(第8章)条文(第92条~95条)を設けているが、中身は地方公共団体に関する団体自治の規定だけで住民自治の規定はない。
連合軍総司令部(GHQ)の日本国憲法に関する「マッカーサー草案」(ホイットニー長官主幹)は現憲法の94条に相当する87条で「首都地方、市及町ノ住民ハ彼等ノ財産、事務及政治ヲ処理シ並ニ国会ノ制定スル法律ノ範囲内ニ於テ彼等自身ノ憲章ヲ作成スル権利ヲ奪ハレルコト無カルヘシ」(日本外務省訳)となっていたが、松本国務大臣ら日本政府官僚によって「住民」が「地方公共団体」に、「憲章」(合意文書、政治綱領)が「条例」に改められてしまった。国民主権と同様に「住民自治」の定義が曖昧なままになったことでその後の展開に大きな支障を生じた。また、戦前まであった五人組や隣組や町内会など近隣自治組織は戦後、軍国主義の基盤である軍部翼賛態勢の元凶ということでGHQに解散させられた。しかし、コミュニティーには相互監視機能だけでなく相互扶助機能や民主主義の学校という機能もある。それらが根こそぎ破壊されてしまった。その後、近隣自治組織は町内会、自治会、集落会などの名称で復活はしたが、行政の下請け組織に堕し自主性や主体性に欠け行政依存心が強いコミュニティーになってしまった。
憲法制定の翌年に制定された地方自治法では、第2編第2章に「住民」に関する条文(第10条~第13条)が設けられ9項目の規定が明示されたが、選挙権や条例制定権や監査請求権など権利に関する規定がほとんどで、義務に関しては負担分任の義務1項目だけで、住民の自治参加に関する条項はなく、その後の住民自治の停滞を招く原因になった。
今後国会で審議される「地域主権改革の推進を図るための関係法律の整備に関する法律」(案)にも住民自治に関する規定は見当たらず、地方自治法の抜本的見直しを検討する「地方行財政検討会議」でも「住民参加の在り方」はテーマに上がったが、議会の在り方、一般的住民投票制度,多選制限など選挙制度見直しが中心で住民自治については素通りしている。 民主主義に馴化する機会を逸してきたわが国は団体自治だけの片肺飛行でやってきたのである。 片肺のままではいずれ墜落せざるを得ない。地方自治の顔が向いている方向が間違っていたのだ。 平成20年7月に総務省に「新しいコミュニティのあり方に関する研究会」が設置され、平成21年9月にコミュニティ強化のため「新しい地域協働体の構築」を提言する報告書を出しているが、その後の政権に無視されたままになっている。真の地方自治は中央政府の意向に唯々諾々と従うだけでは実現されない。 主権者である住民が「自治」と真っ正面から向き合う以外に方法はない。
2.自治の前線へ向かう「地域自治組織」、「自治基本条例」
地方自治法改正(平成21年5月)で新たに「地域自治区」の条文(第2編第7章第4節第202条の4~9)が設けられた。
この「地域自治区」の「地域」が鳩山政権が打ち出した「地域主権」の「地域」と同じなのか、違うのか、大変紛らわしい事態になった。
「地域自治区」は執行機関である地方公共団体の枝葉機関であり、「地域主権」とは全く異なる概念である。
平成の市町村合併が財政問題対策では効果を上げても自治対策では吸収された周辺町村部の意志決定力が弱まり失敗に終わったことに対処するための「地域自治区」と理解せざるを得ない。 市長村長が地域に事務所を置き、事務吏員を配置し、地域協議会を設置し地域住民から協議会の構成員を選ぶことになる。
ところが一方で、財政難から公民館から市町村職員の事務吏員を引き上げ住民に管理委運営を委託する市町村が増えている。 また、文部省所管で学習機能しか持たない公民館をもっと広い概念の自治機能を持たせようと「コミュニティーセンター」に改める動きもある。 しかし、地域社会には依然として住民自治の概念が欠落したままになっている。地域の拠点として「公民館」や「コミセン」はどう在るべきなのか、新たな課題が浮上している。 国家の基礎(国土・政府・国民)を構成する住民(国民)が「自治」に関する哲学を欠いているため自治が進化しない。
これと対照的な現象が地方分権一括法(平成11年7月)後に「自治基本条例(まちづくり基本条例)」を制定する市町村が急増していることだ。おそらく、全国の1,727市町村の11%程度を占めるであろう(県内では平成20年現在、白鷹、川西、長井、遊佐の4市町が制定済み)。 国から基礎自治体へ分権が進むにつれ、住民自治の重要性が認識され、市町村内でも住民に近い事案は住民自らが解決できるようにする仕組みに変革しようとするもので、「住民自治組織」(町内会、自治会、地区振興会、集落等)がクローズアップされだした。そして、この場合の「住民」の定義を、居住者だけでなく、他自治体に住所がありがら当該自治体に通学、通勤している人、当該自治体内で地域づくり活動に参加する人を含める自治体が多いことに注目せざるを得ない。
歴史的に「市民(住民)」の概念は、居住者としての市民、身分階級としての市民(cf 奴隷、貴族)、政治に参加する人としての市民の3つの意味があったが、昨今では新たに第4の意味が発生する時代となり定義が変質し始めた。
3.近接性・補完性の原則を徹底する必要あり
政府の「地域主権戦略大綱」はその理念として「憲法を前提としつつ、地域のことは地域に住む住民が責任をもって決める、活気に満ちた地域社会をつくるための改革」と位置づけている。この考え方には大賛成である。
ところが、政府の地域主権改革は相変わらず国の権限・財源を地方へ分権すること、団体自治の行財政改革を行う程度にとどまり、主権者である国民が住民自治にどう取り組むかの戦略を構築する視点が欠落している。 真の主権在民の実現なくして真の民主主義、真の地方自治はあり得ず、当然ながら住民自治の実現なくして地域主権を実現する地方自治などできる訳がない。 主権在民は政治、行政、経済、社会、産業、科学、文化等あらゆる領域の基礎であり、その深化と進化は日本社会の閉塞性を打破する鍵である。 名実ともに主権在民の国家、社会であろうとすれば、住民に最も近い市町村が政治・行政の全権を有すべきであり、市町村ができないことを県や国が担うべきである。
それが近接性・補完性の原則であり、主権在民を標榜する民主国家の本来あるべき統治の姿である。民主主義は非効率なシステムではあるが未だにこれを上回る良いシステムは開発されていない。 むしろ、B.C.3~5世紀の古代ギリシャの都市国家・アテネの民主主義と比べ退化した自治といえよう。アテネはマケドニアに戦争で破れて滅亡してしまったので未だにアテネをしのぐ民主国家はこの地上に出現していない。
まして、間接民主主義、つまり、4年に1回の任期満了時に巡ってくる首長、議会議員の選挙で政策の是非や有効性や成果を評価するだけの機能では民主主義は機能する訳がない。 地域社会の課題は刻々変化し高度化ており行政は対応不能になっている。時代の変化に対応できる住民の政治参加と意志決定システムが必要なのだ。地域社会の課題は地名が違えばみな違うのであり、全国一律に対応する政策メニューでは地域課題は解決できないし、画一、平等をモットーとする国家官僚の意向に左右される政治でもこの問題に対応できない。だが、真の民主主義は社会の誤謬を修正する可変可能性を持つ特性を有する点で優れている。官治・集権のシステムではこの特性を生かすのが難しい。無謬・一律を前提とする官治・集権を修正し試行錯誤があっても民治・信託を前進させるシステムへ変えなければならない。そうであるならいっそ、近接性・補完性の原則を一歩前進させ、市町村行政の末端にあり主権者である住民により近い共同体(町内会、自治会、地区振興会、集落等)を「公共」を担う第一義の主体とし、市町村行政はそれをサポートする形に自治システムを変革すべきである。
4.機能不全の住民自治組織
「国民」は「住民」の概念を包含するが、「国民」の関心と「住民」の関心とは必ずしも一致するとは限らない。 しかも、「住民」で構成する住民自治組織(町内会、自治会、地区振興会、集落等)の役割・機能は市町村間でまちまちで、都市部の組織と農村部の組織とでもコミュニティーの体質は異なる。
総じて住民自治組織は、縦割り行政の下請けに甘んじ、役員は広範囲で大量の仕事を抱え、役員や福祉協力員等のなり手がおらず、事業を企画しても参加者が少なく、経理内容の公開などマネジメント能力に疑問符がつく。人望と能力があるリーダーがいる自治組織、NPO法人のある地域が、課題解決力を有し、かろうじて自治機能を残しているに過ぎない。 都市部では会合を開く場所もない組織が少なくないし、集合住宅の居住者は共益費として自治会費を徴収されても地域活動に参加しない仮想住民が多く、相互不干渉の価値観に満ちた連帯性を欠いた匿名社会になっている。
一方、農村部では住民の高齢化・過疎化で組織維持さえ困難なところが多く、地域間の自治能力格差が広がっている。 危機感を抱いた町村役場当局は地域担当制を敷き、職員を集落に派遣し住民と一緒に課題解決に当たらせているが、職員も住民も自治意識に温度差があり、必ずしも十分な成果を挙げるに至っていない。また、「無縁社会」や「孤族」という新語が誕生したように、独り暮らし老人の孤独死や所在不明高齢者の増加やコミュニケーション欠落社会など人口構造や都市機能や価値観の変化によって新たな地域課題が発生している。このような機能不全や対応無能力に陥った場合、これまでは民間企業サービスが代替したケースもあったが、産業政策が追いつかず置き換わることが困難な事態も想定される。
加えて、「公共」を司どる行政組織は財政難と人員削減で余力を失い、もはや行政組織だけで住民生活をカバーしきれない状況下にある現実を直視すべきである。 平成の市町村合併を進める前に、住民自治の在り方や住民自治組織の規模の再編や相互扶助機能の再構築を論議すべきであった。 このままでは国主導で「地域主権」が進んでも、地域には「主権」を発揮できる受け皿が存在せず実現は不可能である。住民自治の担うべき役割や機能の再定義が必要になっており、人や資金や行政との関係の在り方は抜本的見直しが必要である。
5.官治・集権から民治・信託へ転換が必要
わが国は支配階級は、律令時代から貴族、武士、軍部、政党と時代ごと変わったものの、実権は各支配階級のテクノクラートによって中央集権体制下、全国一律の手法によって統治されてきた。だが、地域社会がダイレクトに海外とつながるグローバル化が進み、地域課題は国際化、多元化、高度化するようになり、未熟な政治、劣化した行政では対応できなくなった。つまり、「地域主権国家」へ移行することが迫られているのである。 この考え方は、従来の全体主義国家観に凝り固まった人々には"亡国の論理"と映るらしい。しかし、世界の状況を冷静に眺めれば、元気な国や地域は例外なく"地域主権国"、"自治実践地域"である。日本もそのような国になるためには、主権者である住民は"お任せ民主主義"から脱却すること、政治・行政は主権者である住民の信託にこたえられる機能を発揮できるよう自己改革することが必要である。地域社会の政治、行政、住民の3者はともに意識改革に努め、併せて従来の社会体質の創造的破壊に果敢に挑戦し新たな自治機能を装備できるようイノベーションすることが求められる。
自治とは本来、個人で解決できることは個人で行い、できないことをコミュニティー(共同体、住民自治組織)で解決すべきである。住民自治組織の課題解決能力が欠落すれば個人の生存も危うくなる相関関係にある。住民自治組織と市町村行政との関係も同様である。
個人がコミュニティーに参画しコミュニティーの能力を向上させれば、その恩恵は個人に跳ね返り、地方公共団体も業務を簡素化できるし施策効果も向上するはずだ。 団体自治が担ってきた「公共」とは元来、時代や地域で変わる実態のない仮説概念であり、時代や地域が必要とするものを供給してはじめて実態となり社会資本となる。「公共」の原点は住民にあり、住民ができないことを行政に信託しているはずなのだ。現在の地方自治は国の中央集権と官僚統治とのミニ版であり、市町村行政と住民自治との関係も民治・信託を核とする仕組みに変える必要がある。「自助」「共助」「公助」は新たなバージョンへ再構築することが迫られている。その新たなシステムが機能するようになれば"新たな公共"システムの誕生となり、能力向上した自治機能が生み出すストックが"新たな富"となる。
6.社会的孤立の増加と市民パワーの台頭と
国から地方公共団体へ権限や財源をいくら分け与えても、住民が政治や行政の実体を伴った主体にならなければ主権在民や民主主義や地方自治の基本原理は機能しない。
ところが現状の地域社会は、住民は余計なことにかかわりたくない気風が充満し、自治意識醸成のための環境も整っていない。
主権在民の深化を怠ってきた不作為のツケが日本中を覆い、閉塞感に包まれた国家になってしまった。
コミュニティー機能は戦後、GHQによって戦時動員体制の温床になったとして良い機能も悪い機能も含め根こそぎ破壊された影響が大きい。
OECDの世界価値観調査(1999-2002年)で社会から孤立している人の割合がわが国は 15.3%で調査対象20カ国中最悪であった。
ボランティア活動者率も16%で調査対象26カ国中低い方から5番目であった。 社会的孤立は対人関係の良し悪しを、ボランティア活動者率は人の社会に対する主体性の度合いを測る物差しでもある。
このようなデータは、わが国の社会病理を端的に示している。その一方で、平成7年1月17日朝起きた阪神淡路大震災では1日に2万人を超す被災者支援ボランティアが駆けつけ、全国から多数の義捐金・救援物資が寄せられ、初期の救済や復興に絶大な力を発揮し、国民の潜在的コミュニティー意識は失われておらず国民の社会意識は根絶やしになっていないことを示した。
特定非営利活動促進法が制定され(平成10年3月)、法人格を取得し収益を上げながら社会貢献活動を行えるようになり、山形県でも350団体が認証を受けている(平成22年6月現在)。NPO法人が行う17分野は現実社会のニーズそのものであり、公共そのものである。自発的・主体的な発想に基づく新たな公共サービスがぞくぞく誕生して社会基盤が充実されている。衰退基調の住民自治組織と発展基調のNPOやボランティア組織とはパフォーマンスが好対照を示している。
Ⅱ.提案政策
1.「地域主権」の考え方と方向
民主党政権は自民党と公明党の抗議にあい「地域主権」の概念を返上する動きが報道されている。
だが、地域主権戦略会議は地域主権の定義は変えないという。 「地域主権」がある社会は実現させなければならない。
これまでの日本は本質論抜きに終始したため一部地域を除き農村部でも都市部でも社会の劣化が止まらなかった。
国家でも地方自治体でも企業でも団体でもコミュニティーでも、対処療法の小手先の施策や対策ばかりで理念やアイデンティティーを欠いた組織は滅亡する。 「地域主権」の実現は本質を見据えた取り組みでなければならない。
地域主権改革の本質は「主権在民」の深化がもたらす「社会進化」にあるはずだ。 そして「地域主権」の最小単位の主体は個々の「地域住民」で構成される「住民自治組織」(町内会、自治会、地区振興会、集落等)であるべきだ。
ところが、住民自治の歴史的背景、取り巻く環境、役割・機能、組織マネジメントは農村部と都市部とで異なり、地域が抱える課題は地域名が違えばみな違うし、課題解決能力も地域によって千差万別であり、行政のかかわり方も市町村によって異なる。 そのような状況下にありながら、時代の変化に伴い住民自治の重要性が認識されてきて、その在り方を抜本的に見直す動きが各地で起きている。
市町村行政と住民自治組織との関係を行政主導で全国一律に改めるのは成果が挙がらないだけでなく弊害が大きい。 住民の自発性・主体性を優先し、住民ニーズに合った取り組みを推進すべきであろう。
従って、行政側がこれまで行動基準としてきた公平性起点、成果不問の仕組み、住民側のお役所依存体質は修正が迫られる。それぞれの地域が持つ長所を伸ばし短所を極小化する考え方に立ち、地域に合った住民自治の姿を模索する作業に着手しなければならない。
行政はそれを支援しサポートする役回りに徹すべきだ。 その際、以下の事項について地域内で時間をかけ、合意形成を図り、段階を踏んで取り組む必要がある。 まさに"民主主義学校の開校"である。 政策を具体化するための施策は地域の事情によって異なるので、以下に示す案は一般論として方向性を示したに過ぎず、「住民自治」の在り方は各地域ごとに試行錯誤しながら創意工夫する覚悟が必要だ。
2.自治の原理・原則
地域主権の基礎となる地方自治の本旨の追求、住民自治の進化、住民自治と団体自治との整合を図るには下記の5原則を徹底させなければならない。現憲法が前文で掲げる国民主権の理念の空文化や地方自治法が機能不全を引き起こした原因も原理・原則をないがしろにしてきた結果である。従って、下記の5原則もないがしろにされる懸念があり、実効ある原理・原則になることを担保するための方法論としての法体系整備と諸施策が必要である。
原則1.主権在民の深化 民主主義は非効率な制度だが、これに勝る制度は未だに開発されていない。 主権在民を深化させれば民主主義は内包する多様性が持つ可変可能性により誤謬を修正できる長所を持つ制度となる。 この長所を生かすには中央集権・官治主義から脱却し、民治・信託のシステムに改め、効率性優先の間接民主制に直接民主制のシステムを加え、非効率ではあっても住民意志をより多く反映できる制度へ改変する必要がある。
原則2.近接性・補完性の原則の進化
主権者である住民に近い市町村が「公共」の全権を担い、市町村ができないことを県、
国が担う近接性・補完性の原則を徹底すべきである。主権在民を深化させるには住民自治が行政の下請けに終わってはならない。一人ひとりの住民が自発的・主体的に自治にかかわる必要がある。近接性・補完性の原則を一歩前進させ住民自治組織が一義的に自治を担い、できないことを市町村が担うよう改める必要がある。
原則3.依存・分配から自立・創造のシステムへ
基礎自治体の行政が提供する「公共財・サービス」は仮説の財・サービスに過ぎない。
補完性の原則を前進させても、課題が常に変化し地域によって条件が異なるところに一律に提供される財・サービスが有効であるとは限らない。 「公共」は主権者である住民の政治参加、政策選択、課題解決行動の中で絶えず検証され、成果を挙げてはじめて実在
になる。それには自治の機能を従来の依存・分配のシステムから自立・創造のシステムへ転換させる新たな公共創出システムを構築しなければならない。
原則4.地域社会は住民の資質レベル以上にはなれない
二元代表制の地方自治を機能させるには時代や情勢の変化に適切に対応しながら地域住民に新しい「公共」を形成する資質や能力が備わっていなければならない。
地域の復権は住民の自治意識次第であり、基礎自治体の地域経営能力(ガバナンス)向上が求められる。
同時に、市町村行政と住民自治組織との自治に関する役割分担、協働体制の構築、住民自治組織のマネジメント力アップが必要になる。
原則5.自治意識は体験からしか醸成できない
理論に裏打ちされた実践、実践に裏打ちされた理論の中から健全な自治意識が育つ。
それは地域社会が抱える課題解決に主体的にかかわる経験からしか醸成されない。 立場や考えの異なる人々の学習と実践により発現された意志が地域内で融合すれば化学変化が起き社会体質は変化する。 住民が地域課題を体感し、解決する場が設置され、手法が導入されれば、自治は飛躍的に向上する。向上を妨げるのは孤立と規制である。
3.政策ステップと施策
ステップ1.新たな自治システムへ基盤整備
小・中学校区単位の地域で「住民会議(市町村民会議)」を設置し自治の在り方を話し合い、併せて自治組織の役割・機能の定義、行政との関係性の在り方を再定義する。 また、市町村行政は、住民自治に関する学習や地域づくり活動への参加意欲を喚起するインセンティブの付与、条件整備を行う。
①自治意識醸成と地域参加促進のため住民と行政の学習プログラムを考案、開発する。
②地域の特性理解、課題発掘のワークショップを行い自治意識、参加意識を喚起する。
③住民自身が地域の在るべき姿について考え、地域計画、自治組織の在り方を考える。
④住民自治組織と市町村行政との関係性について実態を見直し双方の課題を抽出する。
⑤市町村は住民自治推進の観点から自治基本条例制定を目指し在るべき自治を考える。
ステップ2.行政の役割と住民の役割の明確化
市町村は自治の主権者が住民である自治の本旨に照らし、先進地の動向を調査し民主主義が機能する自治の在り方を考える。意志決定システム、行政事務執行システム、住民参加システムなど全般を見直し、本来在るべき議会の在り方、監査の在り方、住民投票の在り方、行政と住民の自治の役割分担、国や県との関与の在り方を明示する。
①自治事務は第一義的に住民自治組織が担うよう市町村行政の仕組みを変える。
②市町村職員の人件費コストを適正にし事務執行を効率性優先から成果主義に改める。
③監査は独立性ある外部監査としValue For Money(最少経費の最大効果)を重視する。
④自治上の重要課題については適宜住民投票できるよう自治基本条例に定める。
⑤地域内で住民合意した課題解決は行政が尊重しなければならない条項を設ける。
ステップ3.地域ごとの自治基準を設定
住民自治が担うべき役割、地域社会が必要とする機能等を優先順位をつけシビル・ミニマム・スタンダード(自治保障基準)として数値設定する。基準値を達成するための手法や課題を明確化し、達成できるシステムを市町村行政と協力して構築する。近隣自治組織やNPOとの協力体制、市町村行政の役割分担の在り方を再検討する。
①安全・安心な自治へ自主防災や子ども見守りや危機管理体制等を有機的に見直す。
②相互扶助機能の民生委員、福祉協力員、隣組等を見直し扶助保障基準値を定める。
③PTAや放課後児童クや公民館等の教育学習機能を地域起点に見直し再構築する。
④新たな所得源を地域内で発掘するため課題解決や地域資源を利用しビジネス化する。
⑤道路交通や徐排雪や景観・環境などのハード整備を生活質向上の観点から点検する。
ステップ4.住民自治組織のマネジメント力を向上
住民自治組織の地域課題解決力(ファシリテーション・専門の知識やスキル)を向上させ、地域経営力(財務力・組織力・人材育成力・地域資源開発力等)を向上させ地域の自立度を高め持続可能性ある組織体にする。その観点から、特定非営利活動法人の導入や既存の自治組織の法人化や多様な地域経営体を育成しマネジメント力の向上を図る。市町村行政はそのための資金的、技術的な支援を行う。
①域の中の課題解決力と地域経営力の過不足実態を専門家を招き一緒に点検する。
②住民自治組織を法人化するメリット、デメリットや可能性を探る機会を設ける。
③行政やNPOが上記①②を支援するメニューを開発し住民自治組織と連携する。
④行政計画や現行施策と住民自治活動との整合や独自性発揮について点検、調整する。
⑤法人化を導入する場合の地域内の障害や不備や必要条件をシミュレートする。
ステップ5.地域づくり活動の手法と体制の整備
各地域ごと、多元化・複雑化・高度化する地域課題の解決策と住民自治組織の地域づくり活動の現状をセットにして点検し、自治能力向上のための手法・体制を戦略的に構築する。お祭り等の既存行事と環境や福祉等の新規活動を見直し、資源生かしや産業興しや交流促進などと比較し優先順をつけ人材配置や財政出動できる組織にする。
①効率性・利便性を優先する地域を信頼・成果を重視する地域へ活動の重心を移す。
②既存、新規を問わず各種行事や地域活動の目的を明確にし地域住民に周知する。
③事業や活動へ不参加の住民にヒアリングしその理由を聞き、参加要件を検討する。
④自治活動、地域づくり活動に関し戸別に聴取し要望・希望をリストアップする。
⑤行政、NPOは地域活動促進を支援する体制を整え地域に出張し協力する。
Ⅲ.地域主権型コミュニティーの参考事例
1.幸福につながる半直接民主制(スイス)
自治の本旨は住民の幸福の実現にあるはずだ。だが、住民が何に幸福感を感じるかは、時代背景や社会的文化的背景によって異なる。アブラハム・マズローの欲求5段階説では、①生理的→②安全→③親和(社会的欲求)→④尊敬(自我の欲求)→⑤自己実現―という順序が考えられている。
低い次元から欲求を満たしていき、その欲求が満たされると上の階層の欲求が芽生え、最終的には自分自身が生き生きと充実して生活できる自己実現への欲求が起こるという。
ここで民主主義制度が意味を持ち、「自治実現=自己実現」のツールとして民主制が生かされるかどうかが重要になる。 民主制には大別して直接民主制と間接民主制とがある。
わが国で21年5月から始まった裁判員制度は、ある意味で司法に住民が参加する直接民主制を司法の世界に導入したものとも言える。 住民の欲求や幸福感を満たすには行政活動や統治活動へ主体的にかかわる仕組みが必要となる。
スイスのチューリヒ大学のフレイとシュツッツァーが発表した「幸福と経済と制度の関係について」という論文で「市民参加など直接民主主義の制度が整備されている地域に住む市民ほど幸福感をより多く感じている」ことを明らかにしている。
スイスは議会があるが、先進国で唯一直接民主制を採用している。
連邦も州も重要な事案が発生すれば住民投票にかけて決める半直接民主制の国である。
だが、州ごとに制度が異なっていて直接民主主義の度合いが異なる。 そのため26の州の6,134人の市民を対象に調査・分析し、個人の幸福感と直接民主主義との度合いとの関連性を分析した。
重要な結論として指摘しているのは、「直接行政や政治へ参加できる制度や地方分権が整っている州ほど、市民はより多くの幸福感を感じることができる」点と「収入は幸福感と比例するが、高収入はそれほどの幸福感をもたらさない。
失業がもたらす不幸感は非常に大きい」点である。
つまり、人々は物事を決定する裁量権が身近にあるほうが幸福感をより多く感じているのである。 直接民主主義が幸福感をもたらす理由としてフレイとシュツッツァーは、市民が行政に対して活動的になるため政治家(首長および議員)が市民に監視およびコントロールされていることを強く意識するので政治や行政が市民の意思に沿ったものとなること、市民の政治過程への参加可能性を拡大することになり市民が自分自身で直接政治過程をコントロールできる感覚を持つようになること――の2点を挙げている。
これは行政活動が生み出すアウトカム(成果)から独立したプロセスの問題であり、例えアウトカムが意に沿うものであっても政治過程への参加が制限されていれば幸福感は増幅しないことを意味する。
スイスのこのような半直接民主制は第1に、歴史的に国家体制が州政府を基本とし州政府は住民の意思とコンセンサスを形成することを重視する伝統が根付いていること。
第2に、民兵制度のように公的職務の多くが私的な職業を持つ人々の兼務として遂行する伝統があり、市民や民間団体の政治、行政への積極的参加を実現している社会基盤があること――が影響していると考えられる。(引用文献:Bruno S. Frey and Alois Stutzer「HAPPINESS, ECONOMY AND INSTITUTIONS」2000年10月、The Economic Journal)
2.自治都市ボローニア市(イタリア)
イタリア共和国には日本の市町村のような行政区分はなく、共同体であるコムーネ(Comune)が自治の最少単位で人口100万人を超えるナポリも1,000人以下のバローロもコムーネである。 国内のコムーネ数は8,000を超える。イタリア北部には中世から自治都市の都市共同体があり、住民や商工業者の代表によって運営されてきた。 イタリア北部のエミリア・ロマーニャ州のボローニア市は人口38万人の州都だが、世界の大学発祥の地として知られる。 英語のユニバーシティー(University:大学)の語源はラテン語のウニウェルシタス(Universitas)であるが、その意味は自治組合である。 主要街道が交差しているため11世紀に物資の集散地になり、同時に法学研究の中心地になり、ヨーロッパ中から向学心旺盛な若者が集まった。 若者たちは出身地ごとに団体をつくり、団体が集まり組合をつくり大学をつくった。 学生の組合が教授の選定権や解雇権を持ち、授業内容も教授の給料も学生たちが決めた。 ダンテ、コペルニクス、ガリレオもここで学んだ。
都市のあらゆる場面で助け合いが見られる。ホームレスの出現に学生たちが反応し市当局が支援して新聞「大きな広場」を刊行、ホームレス発生の背景などを鋭く突き周知し無料宿泊所の設置を実現。 さらに孤児院、母子寮なども献金によって建てられ社会的協同組合に発展していく。 廃屋になった公営バス車庫を市が無料で社会的協同組合に貸与し、組合は劇場にして再生させている。映画サークルの学生たちと映画評論家や地元銀行、行政とが協力し、フィルム修復の機材を開発製作、古い無声映画の大作フィルムを修復し、地元劇場で上映した。 すると、欧米諸国からフィルム修復依頼が数多く持ち込まれ、本格的ビジネスに発展成長した。
ボローニア市はまた、工業都市、職人の町でもある。産業博物館を中心に職人による小企業が集積している。現在は包装機械の世界の中心地であり、ティーバッグと薬品充填包装で世界一のIMA社もある。 イタリア北部は職人技術を大切にする風土と創造性豊かな自立心が旺盛な精神風土があり、能力のある人は起業し、能力のない人は大企業に就職する伝統がある。 包装機械のIMA社もかつてはチョコレート自動包装機械の開発から始まった。チョコレート包装の基本技術を生かしてスピンオフし、ティーバッグや薬品の分野に進出した。 このような包装機器企業は50社以上あり、その周辺に部品メーカー300社が取り巻いている。地域の技術や文化や伝統を守りながら現代生活に役立てて生かす知恵は産業面だけでなく街並みにも建物にも表れており、自己の得たものを地域に返し地域そのものにする文化がある。
このような精神風土はコミュニティーを大切にする政治・行政のスタイルに表れている。 直接民主制と間接民主制との併用である。市長や市議会議員を選挙で選ぶ間接民主制と直接民主制である地区住民評議会がある。地区民は任期5年の評議員を選挙で選び、評議員は報酬はなく週1回公開で開かれる評議会開催の日当だけを受け取る。 評議員は地区内での公共事業の計画、保安と教育の有効な実施方法、文化・スポーツ・レクリエーション施設の使用など広範囲な分野について市に提案し予算案を作成する権限を持つ。 地区住民評議会は住民が身の回りの問題を話し合い合意形成し、合意意見を連合体に上げ、連合体は市長に「市民の声」として提示する。住民自治が文化、政治・行政、産業、都市生活に浸透している。(引用文献:井上ひさし著「ボローニヤ紀行」、「あてになる国のつくり方」等)
3.コミュニティー再生から産業を再生(シリコンバレー)
アメリカのIT産業の拠点であるシリコンバレーはかつて、日本からの輸出攻勢を受け倒産企業が続出、人口が流出、コミュニティー崩壊が起きた。その時、コミュニティー再生をキーワードに取り組んだのが「JV:SVN(ジョイントベンチャー:シリコンバレー・ネットワーク)」であった。 多くの住民が参画し、地域の課題を探り出し、解決方向を定め、各分野の人々が解決に参加した。 数多くの団体のトップが会合に参加し即断即決、企業は資金や技術を出し合い、行政は解決の障害になる規制を緩和、一般市民がこぞって協力した。 その結果、新たなビジネスが続々誕生し経済は1992年をボトムに上昇カーブに転じた。
スタンフォード大学の元副学長ウイリアム・ミラー教授は「日本人はシリコンバレーの新しい技術だけに注目しがちだが、ビジネスインフラ、ビジネススタイル、ビジネスモデルを見落としてはいけない」と語っている。 ウイリアム副学長は以下のように解説している。
シリコンバレーの経済再生へのステップはコミュニティー再生へのステップであり、それは3段階を踏んでいる。
第1段階は、地域社会の現状と問題点を客観的に把握し経済の問題意識を地域社会の人々が共有するようにした。
第2段階では、官公庁、産業界、教育機関、コミュニティーからリーダーを集め、ビジネスプランである「21世紀のコミュニティーの青写真」を作成し発表、コミュニティー全体で問題解決する体制を構築した。
第3段階では、コミュニティー再生のため、
①シリコンバレー経済開発チーム
②税制・財政審議会
③規制改革審議会
④企業ネットワーク構想
⑤ビジネス・インキュベーション・アライアンス(20億円を投入し27社を支援。うち3社が失敗)
⑥シリコンバレー世界貿易センター
⑦防衛・宇宙コンソーシアム
⑧21世紀教育構想
⑨環境パートナーシップ公社
⑩健全なコミュニティー・健全な経済の構想
⑪スマートバレー公社(コマースネットなど)――など11のプロジェクトを立ち上げ、事業を推進した。
シリコンバレーの構造を単純化すると、ジョイントベンチャーというNPO活動にコミュニティーぐるみで取り組んだことで、地域社会の人々の思考方法や行動様式が変化し、その影響が経済活動に波及し産業が活性化した――という構図になる。コミュ二ティー内での協働が連鎖反応を引き起こしたのである。「個人の思考・行動様式の変化」→「新たな具体的な成果発生」→「新たな地域の能力の開発」という好循環を生み出した。従来のコミュニティーを時代の変化に対応できるように組み替える原動力は個人個人の行動様式を変えることに求める以外ないのである。(引用文献:SMART VALLEY,INC.「Cultivating a Smart Valley」)
4.コミュニティ支援課を設けた新潟市
新潟市は平成19年に政令指定都市に移行した。平成20年に「自治基本条例」を制定し、この中で「市民自治の確立を目指す」と明確に規定している。 平成21年に市役所内に「コミュニティ支援課」を配置、8つのエリアごと市行政の付属機関である「区自治協議会」を設け、住民自治組織である96の「地域コミュニティ協議会」を小学校区・中学校区ごと設置した。 温かな市民力と相互扶助精神に基づき住民は地域のことは自らが考え自ら行動する住民自治のまちづくりに取り組む体制にしている。 住民自治はより住民に近いところで行うという近接性・補完性の原則に基づくシステムとしている。
「区自治協議会」は「地域コミュニティ協議会」の代表やNPOや各種公共団体や各界代表で構成する任期2年のボランティアに近い組織で、市議会のような議決権はなく提案権だけを有する。 「地域コミュニティ協議会」は既存の自治会・町内会をそのまま包含した任意組織で、地域づくりについてそれぞれのルールに基づき総合的に地域内で意志決定を行う組織と位置づけている。 自治会・町内会は近隣50~300世帯程度で構成、顔が見える関係づくり、あいさつ、葬祭、ごみ、側溝清掃、防火防犯、広報紙配布、婦人会・子ども会運営、街路灯、美化活動、新年会などの親睦活動を主な事業としている。 「地域コミュニティ協議会」は、人口1万人程度の規模で設置し、歩いていける規模にしている。PTAや福祉ネットワーク、青少年育成、生涯学習活動、地域課題の把握・解決方策の検討、まちづくり協働事業などを主な事業としている。 集会施設は非常勤職員を配置し指定管理者制度で管理運営している。市から協議会に連絡費や会場借上費や印刷費や事務費などに使う運営助成金が拠出される。 また、事業補助金として自立的な地域課題解決のためのさまざまな活動支援の資金が交付されている。証明書交付事務も扱うため事務委託費も交付され、防犯灯設置委補助金、集会所設置の建設補助金や用地取得資金利子補給や用地借上補助金などのメニューもある。
注目されるのは、
第1に、各協議会によって取り組んでいる主要事業が異なることで、それだけ各地域の抱える課題が異なり地域の自主性発揮が重要な意味を持つことを示していること。
第2に、「コミュニティ支援課」の業務に「にいがた地元学」活動を位置づけ、自然や伝統文化や地場産品や街並みなどについて「ないものねだり」から「あるもの探し」へ視点を変え、地域の魅力づくりに取り組もうとしていること。
第3に、課内に「安全・安心推進室」を向け防犯や交通安全について一括して取り扱う体制にしていることがある。
このような自治システムにしたことで当初は「屋上屋を重ね過ぎる」とか「議会の存在が薄くなる」などの意見もあったが、「物事がより住民に近いところで決まっていく」と行政職員、住民からともに好評のようだ。(新潟市役所にヒアリング)
5.NPO法人が住民自治組織を包含し地域経営(川西町吉島地区)
「きらりよしじまネットワーク」は川西町吉島地区の21の自治会、752世帯の全戸加盟のNPO法人である。公民館の社会教育の枠の中だけでは住民自治を実現するのは難しいと思い平成16年から住民自治の新たな組織づくりに取り組み平成19年に法人認証を受けた。町は平成16年にまちづくり基本条例を制定した。 地区の団体はそれぞれ会費を徴収し会計を行っていた。高齢化が進んでいる、横のつながりがない、役員が重複している、地域の合意形成がないままバラバラに動いている――などの問題点があった。平成16年時点で地域住民に提案したのは、各種団体の会計を一元化すること、地域の財政基盤をつくろうということだった。それぞれの団体が持っている剰余金を有効活用するために一元化し予算の執行率100%を目指していくことを提案した。地域の運営の視点から地域経営の視点に切り替える考え方である。
地区を8つの支部に分け、そこから責任能力ある人を推薦してもらい18人いる事務局員(常勤は4人)は地域の若い世代を登用している。20年先の地域づくりを進める考え方に立ち、地区のビジョンを掲げ取り組んだ。地域を暮らしの自治部会、環境、福祉、教育の4つの部会に分け、それぞれの部会に事務局からマネージャーを一人ずつ張り付け部会のコーディネート、マネジメントを担当させている。組織の理念が部会にきちんと伝わるように橋渡し役を担ってもらう意味もある。
「地域づくりは人づくり」とは言うが、吉島地区では地域の中でどう人を育て実践の場に出していくかまで反省し話し合いプランとスキームを練った。住民70人から80人が集まり年間4~5回ワークショップを行い、課題や理想を挙げてもらい、その集約を「きらり」が行った。課題解決の案は住民にフィードバックし、住民が「こうやれば自分たちがやれる」「行政と一緒でないとできない」という判断をして、「きらり」に返してもらうやり方をした。つまり、そういうことを地域の中できちんと話し合える文化をつくっていけることが大事なのだ。
16年度から計画がスタートした町の総合計画の勉強会をやった。それを受けて地区の計画を作ろうとなったが、闇雲につくるのではなく町の計画とリンクする計画を目指した。 県内でもコミセンにして指定管理者制度を入れて住民自治組織にする動きがあるが、極めて危険である。吉島地区のようになるには、住民が話し合いして「こうやりたいのでやらせてくれ」となってはじめて可能になるからだ。逆に、自治組織を無理矢理つくらされた場合は「やらされている」という住民感情になるので大きな負担になる。だが、自発的、主体的に活動できる住民がいる地域はどんどん伸びていく。行政側がきちんと住民に説明しないでやると安い金で地域に丸投げする格好になり地域住民は動かない。「行政が丸投げした」と負担感だけが残る。
財源は指定管理の収入もあるが、県や町の委託料、スポーツクラブや児童クラブの会費収入などもある。以前からあった委託事業もあれば、新たに事業を起こした委託の収入もあり、全部を束ねてやっている。 既存の地元の組織、団体は残してあり、その団体から「きらり」が委託を受けている形だ。 自治会長連絡協議会という組織があり、そこから事業と会計の全権限を委託されている。補助金は既存の団体の名前で取れるものとNPOで取れるものと違うので既存団体を残した。 既存組織とそういう関係になるには相当な苦労があり強い抵抗もあった。 「この組織は昔からこういう形でやってきた。なぜ、つぶすのか」とかいろいろ苦情や疑義が出たが、住民間のネットワークを生かし「なるほど」と理解してもらう助走期間を経て体制を構築した。(NPO法人きらりよしじまネットワークの高橋由和事務局長の講演から)
Ⅳ.住民自治問題をめぐるトレンド
1.「世界地方自治憲章」(草案)の普及
この草案は1998年に国連人間居住センター(UNCHS)と都市・自治体世界調整協会(WACLAC)とが共同作成したもので、この草案が提唱する補完制と近接性の原則に基づく地方自治制度の導入が欧州諸国を中心に増えている。強固な地方民主主義が国家や社会を強化するとする考え方が世界規模で広がっている。
2.ISO26000の発効予定
マネジメントシステム規格ではなくガイダンス規格であるが「あらゆる種類の組織が社会的責任に取り組むことで持続可能な開発、健康及び社会繁栄に貢献することが期待される」とコミュニティーの社会的責任を強調する規定である。7つの中核主題の中に「コミュニィー参画及び開発」が盛り込まれており、コミュニティーへの人々の参画とコミュニティーの新たな規範の開発が国際標準規格になろうとしている。
3.新しいコミュニティーの在り方の研究
総務省は21年度「新しいコミュニティーのあり方に関する研究会」を立ち上げ報告書を出している。この中で「地域における住民活動や地域協働を強化・再構築する観点から、多様な主体が力を結集していく新しい仕組みとして包括的にマネジメントする『地域協働体』を構築すべきである」と提言している。また、山形県も同年度「都市と農山村の連携に関する報告書」をまとめ、「地域コミュニティー再生促進事業」を行っている。
4.政府の「地域主権戦略会議」が発足
政府は「地域のことは地域に住む住民が責任を持って決める」ことをコンセプトに「地 域主権戦略大綱」を定め、「地方政府基本法」制定(地方自治法の抜本見直し)、義務づけ・枠付けの見直しと条例制定権の拡大、基礎自治体への権限移譲、ひも付き補助金の一括交付金化などを志向し始めた。また、総務省の「地方行財政検討会議」が、地方自治法の抜本改正を目指し作業を進めている。
5.県の「地域振興推進研究会」の発足
県は平成22年4月、市町村の協力を得ながら約3,700ある全県下の集落レベル(町内会)と地区レベル(旧村)の地域課題、地域活動の現状把握調査を始めた。とりあえず市町村行政を対象とする調査から出発しているが、コミュニティー問題に真っ正面から取り組む国内初の試みである。
6.公民館のコミセン化
自治体の財政難などから公民館の社会教育施設としての縛りを外し、自治機能施設としてのコミュニティーセンターに改める動きが進んでいる。同時に、指定管理者制度を導入し自治体職員を引き上げ地区住民に施設の管理運営を委ねようとしている。地区住民に自治意識がないまま指定管理者制度を導入するのは危険であり逆効果になる。同じ公的サービスを担う役割でありながら、民間と比べ市町村の職員は1.4倍多い給与(社会システム研究所調べ)を得ながら分配機能しか持たない行政と、安い賃金で実のあるサービスを提供する指定管理者との格差が問題化すれば地域社会が暴発する可能性がある。
7.都市型自治を変える市民活動
特定非営利活動促進法(NPO法)が平成10年に制定され、新たな「公」が誕生した。当初は12分野だったが後の法改正で17分野に広がり、ほとんどの地域活動を網羅している。法人は圧倒的に都市部に多く農村部は少ない。 任意団体で義務感・慣習遵守を行動原理とする農村部の従来の地縁組織は補助金頼りの行政依存型であるが、NPO法人は一般的に自主性・主体性を行動原理とし、法人なので信頼性が高く資金調達力や専門能力が高くマネジメント力もあるので委託事業を受けることが可能な自立型である。
県内には344法人(22年4月末現在。18団体が解散、2団体が県外移転)があるが、最も多いのが保健医療・福祉で、次いで、まちづくり、子どもの健全育成、社会教育、中間支援、環境保全、学術・文化・芸術・スポーツの順に多い。注目すべきは地域活動全般を支援する中間支援が130法人を数えることだ。これが地縁組織とどう融合するかは地域社会の課題解決力を左右しよう。
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